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那覇家庭裁判所 昭和48年(家)1374号 審判

申立人 石川昭子(仮名)

主文

申立人は、無籍につき

本籍      沖縄県那覇市○○△丁目△△番地の△△

筆頭者     石川昭子

父       石川安之助

亡母      寿美

父母との続柄  女

名       昭子

出生年月日   昭和弐拾七年八月弐拾壱日

出生場所    那覇市△区△△組

出生届出年月日 昭和弐拾七年九月拾日

出生届出人   石川安之助

として就籍することを許可する。

理由

一  申立人は、主文同旨の審判を求め、その事由の要旨は、

「(1) 申立人は、父石川安之助、母同寿美との間に昭和二七年人月二一日那覇市△区△△組(当時)において出生したものである。

(2) 父は、同三六年六月一〇日本籍地(町名変更前那覇市○○町△丁目△△番地)を出たまま現在まで音信なく所在不明になり、母寿美は同年同月二八日那覇市において死亡したため、その後は当時那覇市○○△△番地に住む母の知人小池八重子に養育されて小学校及び中学校を卒業した。

(3) その後右小池の宮崎市への転出に伴い一緒に転出したが、戸籍がないため社会生活上支障が多く、その必要性を感じて戸籍調製のため昭和四八年四月再び沖縄に戻り、現在那覇市○○の知人宅に住んでいる。

(4) そこで現在ある資料は、臨時戸籍だけであるが、それを基に母方の実家(金城家)等を探したが確たる手がかりは得られなかつたので、戸籍再製ができず、やむなく就籍許可審判を求めるに及んだ。

というにある。

二  よつて審案するに、

(1)  申立の動機につき、申立人に対する審問の結果及び同代理人長嶺常和の当審判廷における供述によると、申立人は戸籍がないことは中学校の頃から分つたが、最近になつてその必要性を感じて臨時戸籍(後記)を手がかりに八方手をつくして調査したが、申立人の父母の出生及び婚姻関係の事情を了知している者が探せないので、那覇地方法務局戸籍課の係官に相談したところ、戸籍の再製ではできないので、家庭裁判所に就籍許可の審判を求めるようにとの指示を受けたので、本申立をしたことが認められる。

(2)  申立人の本籍の有無につき、

申立人に対する審問の結果及び那覇市長職務代理者助役平良秀一発行の戸主石川安之助名義の「臨時戸籍」原本によると、申立人は父石川安之助亡母同寿美との間に一九五二年八月二一日那覇市において出生したこと(出生については後記(3)末尾参照)、前記申立人代理人願出に対する右那覇市長職務代理者の証明によると、前記臨時戸籍の筆頭者石川安之助は、沖縄の戸籍整備法第六条による「仮戸籍の申告」をしていないことが、それぞれ認められ、右認定に反する証拠は他に存しない。従つて、前記石川安之助を筆頭者とする認定戸籍若しくは改製原戸籍は編製されていないことになり、申立人の「本籍」は存在しなかつたと言わざるを得ない。

(3)  申立人の嫡出性につき、

〈イ〉  前記臨時戸籍によると、申立人は父石川安之助、亡母同寿美との間に那覇市△区△△組(当時)において出生したこと、申立人に対する審問の結果によると、申立人の父である右安之助は昭和三六年六月頃当時の本籍地那覇市○○町△丁目△△番地(町名変更により現在○○△丁目△△番地の△△)を出たまま現在まで音信なく行方不明になり(記録添付の、同人と思われる写真貼布の書面によると、一九六一年六月一〇日、泊港黒潮丸にて出域とある)、母寿美は同年六月二八日申立人九歳のとき那覇市に於て死亡したこと(日蓮正宗○○寺住職野中景俊作成の納骨保管証明書でも同じ)、その後は当時那覇市○○△△番地に住む申立人の母の知人である小池八重子方に引取られ、その許で養育されて小学校は那覇市字××在××小学校を、中学校は一年まで××中学校を、二年からは通称△△町に転居したので同市△△中学校を卒業したことがそれぞれ認められる。

〈ロ〉  而して、申立人に対する審問の結果及び参考人仲山洋子(申立人の母のいとこで金城元子から仲山に改氏)の当審判廷における供述を総合すると、申立人の父母は前記臨時戸籍に記載してあるように石川安之助及び同寿美であること、右寿美は通称△△町(那覇市××在で特飲街)に申立人と二人で居住していてそこの料亭で稼働していたこと、父安之助について申立人は幼い頃一寸だけ記憶にあつて小学校になつてからは殆んど分らないということ、安之助と寿美とは正式に結婚したかどうか分らないこと、前記臨時戸籍には父石川安之助母亡「同ミツ」の二男として「裕」(一九三〇年七月二三日生)なる者の記載があるが(身分事項一九五三年五月兵庫県○○市より帰還とある。)、同人について申立人は全く知らないこと、そういう記載の臨時戸籍を申立人や前記小池も見て寿美は本妻ではなかつたのではないかと疑念を抱いていること、がそれぞれ認められ、右事実によると、右安之助は本妻は寿美とは別個に居て当時△△町の料亭で稼働していた右寿美と知り合つて同女を「内妻」として囲つて情交関係ができていたことが推認でき、右認定を覆えす証拠は他に存しない。

そうすると申立人は、前記臨時戸籍上は父石川安之助母亡同寿美の“長女”として記載されているものの、それは当時配給台帳的機能を有した臨時戸籍の性格上便宜的にそう記載したものと考えられ、前記認定のように右寿美は右安之助の内妻的存在であつたから、申立人は右両人の嫡出子ではなく、「非嫡出子」であると言わざるを得ない。

次に(その認知関係について検討するに)、申立人の父安之助は、前記臨時戸籍上一九五二年九月一〇日付で出生届出をしているが、申立人を自己の子として認める意思が明らかであり、且つ事実上の父子関係が形成されているから、旧法下(沖縄の新民法施行は昭和三二年一月一日)では当然その届出に認知効を認むべきである。

なお、申立人の出生年月日は「昭和二七年八月二一日」とのことであるが、前記臨時戸籍上はもとより、昭和四一年一一月那覇市長職務代理者発行の住民票、同四八年一一月宮崎市長発行の住民票(除票)及び同年一一月那覇市長職務代理者発行の住民票でも生年月日の記載は昭和二七年八月二一日となつており、右は正当と思われる。

三  申立人の日本国民性(国籍)について、

まず、前記臨時戸籍によると、申立人の父の氏名は「石川安之助」と記載され(その父は石川盛将、母は同トヨ)、記録添付の同人と思われる写真貼布の書面中氏名欄でも「石川安之助」と記載され、参考人仲山洋子も申立人の父の名前は「石川安之助」であると供述していて、それ以外に呼名がなかつたこと、同参考人の供述によると、当時養鶏関係の仕事をしていて取引上日本本土に往来しており、その言葉づかい等から日本本土の人のようであつたこと、那覇市役所市民課作成の書面によると、申立人は外人登録原票には登載されていないことがそれぞれ認められ、右事実及び前記認定事実によれば、申立人の父は申立人の出生の時に日本国民(日本国籍)であると推認することができ、右認定を覆えす証拠は他に存しない。

(因みに、申立人の母寿美の父は金城宗成、母同トミエで沖縄県那覇市に本籍を有し、右寿美も日本国民である。)

従つて、申立人は国籍法二条一号にいわゆる「出生の時に父が日本国民であるとき。」に該当し、日本国民というべきである。

よつて、申立人は日本国籍を有していながら、本籍を有しないこと前記認定のとおりであるから、申立人の就籍の許可を求める本件申立は理由があり、認容すべきである。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 浜川玄吉)

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